あるTwitterを見て

ある人間のTwitterを見て、俺は常々こう思っている。

ジグソーパズルのピースを嵌めるのがそこそこ速くて上手いっていうのと同じじゃん。

空いてる箇所がどの形かを見極めてピースを探し、ピタッと嵌め込むという。同じジグソーパズルを毎日何度もやっていれば、自ずとその熟練度が増し、上達する。
逆に言えば、それだけしかやってないとも言える。狭い校庭を毎日グルグル何周もするのが好きな人間はやればいいし、外の景色も見てみたいという人間は校庭から飛び出して、街中も走ればいい。

そのジグソーパズルのピース嵌めが得意な人間が、やり慣れたジグソーパズル以外の競技遊戯、例えば百人一首とかをやって、ジグソーパズルの時と同じように上手く速くできるかといったら、そうでないのは言うまでもない。当然、ルールや勝手が異なるから、ジグソーパズルと同じように百人一首を上手く速くできるわけがないのだ。

一部のプロレス・格闘技マニアはそういった観点で、前述した人間の呟きを見抜いているんだけど、マニアではない門外漢のお姐ちゃん達には見抜けていなくて、それこそジグソーパズルの上手な嵌め込みは、マジシャン並の超達人技に見えてしまうようだ。

そこで俺なんだけど。
俺はそこを、つまり、ジグソーパズルのピースをピタッと嵌め込むことや嵌め込みの速さをそんなに重要視していないし、目指してもいない。
使ってる脳みそ、表現したいもの、作り出すのに要する時間質量が異なるのだ。

俺の目指す所は、ジグソーパズルの例えで言えばこんな感じ。

「ここの隅っこのピースを組んだ後は、必ずしも隅っこのピースに連結させようとする必要はない。空いた真ん中から組んでいってもいい。なぜなら、行動心理学上、人は…」とか「1つ1つのピースを形成するカーブは極力、指にかかりやすい形状が望ましいとの説(出典:「○○○」)があるが、果たしてそうなのだろうか?」というような、様々な角度から論じたり、自分なりの他にはないような独自の切り口や視点を見つけ、そこから得られたり、導き出されたりする推察や考察を長文等で発信したいんだよね。ピタリと嵌め込むことそのものや嵌め込み速度といったことよりも、その背景やそこまで至った要因等を論じたいから。

カッコ付けた言葉でいえば、アカデミックな表現というか、学術的な文章を、それらとは無縁そうなジャンルであえて実現したいという。

そんな論文っぽい表現を古めかしいだの、センスがないだのと他人が言うのは勝手だけど、俺は全然、独自視点による考察文の発信を変えるつもりはないね。自分の頭の中で練られ、積み重ねられたものを他の借り物でなく、己の言葉でしっかりと発信し、表現したいから。

ちなみに、小論文入試や大学に入ってからの学年末テストは論文形式での回答のみ。チャチャッと回答するマークシートではない。

論文や長文を書くのに慣れてきた人には当たり前のことだけど、慣れてない人にとっては答案用紙を文章で埋めるのがそもそも難しいことだろうし、読み手にわかり易く書かなければならないのも難しいことだろう。

自分もまだ論文・長文に限らず、文章を書くことは難しいことだなと思っている人間で、未だに己で完璧と言えるような文章や記事を書けていないけど、自分にしか気づけぬような面白い切り口を探して、そこから広げられる、読み応えありの文章を書きたいという思いは常にある。

最近まで業務で毎日1つずつジャンルに関係なく記事を書いていたから、自宅に帰ってからも記事を書く気にまでならなかったが、今後はまたブログでなるべく文章を発信するつもりだ。

最終的には、かつてのプロ格専門誌『SRS-DX』に連載されてた浅草キッドの「底抜けアントンハイセル」のようなアカデミックとは真逆の文章を書きたいという思いもある。文章を通じて、こんな発見があるのか、こんな切り口で論じることができるのか、思わず笑ってしまった、というようなことを感じとってもらったり、表現したいね。喜んでもらってナンボだから。

【おまけ】
かつて”土下座外交”をしていた頃の新日本プロレスでは、自前のリングで「アルティメット・クラッシュ」という実験的かつリスキーな試みを実践。新日本プロレス所属プロレスラーは”会社命令”で総合格闘技選手と対戦させられ、当然のことながら敗退。これにより自前選手の強さを見せつけるどころか、むしろ決定的な弱さを印象づけてしまう結果となった。
自分で自分の商品に傷をつけてしまった新日本プロレス。
己の行いをこれに例えた人間は、当然ながら自分が犯行に及んだから例えて言い訳したのであって、それを他者がやったかのように今、後出しジャンケンで濡れ衣を着せるのはあってはならぬこと。例えた発信は過去に葬り、何もなかったかのように涼しい顔で振る舞う。
論理破綻した人間は討論できる実力を伴っていないから、ただ嘘をつきまくり突き通し、嘘が露呈し弁解の余地がなくなると、ただやみくもに泣きつくから始末が悪い。強大な後ろ盾やケツモチができた途端に威勢を振るう人間性も褒められたものではない。