最近の西村修の変則的行動の根源は…

無我ワールドのエース・西村修が、全日本プロレスに電撃移籍したのは、もう耳に入っていることかと思う。なぜ移籍したのだと。そんな思いが私の中ではある。しかしそういう思いと同時に、最近の西村の変則的なマット界での振る舞いを見るにつけ、こうなる運命だったのかな~、と変に納得してしまう自分もいたり。とにかく「無我=西村修」が、今日から「無我≠西村修」になってしまったのだ。

「無我=西村修」、「無我のエース・西村修」の認識だったファン

無我ワールドが出したコメントにおいて「無我=(イコール)西村といった誤った認識を払拭できなかったこと」というくだりがあった。でも我々ファンは、どう考えても「無我=西村修」という認識だったし、それ故に西村を観たくて、またクラシカルな良きプロレスを観たいがために会場に足を運んだのだ。

その無我の象徴たる西村が退団するとは、一体どういうことなんだ。

もし団体の収益がイマイチだと仮定しよう。この場合、エース・西村修の採る行動は次の2つになろう。一つは、「エースの自分がもっと盛り立てて、団体を良くしていこう、ファンを満足させよう」というもの。残りのもう一つの選択肢は、「この団体には見切りをつけて、他団体へ行こう」というもの。

今回の西村の採った行動は、どうも後者なのではないか。いや、決め付けはいけない。後者に思われても仕方がないのではあるまいか。

見る人の心に、夢と希望と力を与えるのがプロレスラー

自分の理想を具現化できるリングだったはずの無我ワールド。そこを退団してしまった西村。全日本プロレスに上がることになった西村。それ以前にハッスルに上がってしまった西村。そしてさらに私にとってガックリきたのは、これじゃあ我々サラリーマンと大して変わらんではないか、と思えたことだ。

給料安いから会社辞めます、自分にたいした仕事がふられないので辞めます、といったことなどは、サラリーマン社会では時たま目にする。そんな次元の行動を西村は、今回しているように思えてならないのだ。

プロレスラーは、我々と同次元のようなことをしない存在ではなかったのか。ちょうど10/18の後藤達俊ブログ『Mr.バックドロップ 後藤達俊』で、プロレスラーとはどのような存在なのかについて書かれてあったので抜粋する。

自分が思うには、プロレスラーは、見る人の心に、夢と希望と力を与える素晴らしい職業だと思います。

(途中省略)

プロレスラーが、全員、栄冠を奪い取れる訳ではありませんが、栄冠を勝ち取る為に、努力する姿を見て、観客は、自分自身に置き換え、応援しているのではないでしょうか。

後藤達俊ブログ『Mr.バックドロップ 後藤達俊』10/18分「何故、プロレスラーは戦うのか?」より抜粋

この後藤達俊選手の言葉を拝借すれば、「自分自身に置き換え、応援」できる存在がプロレスラーと言えるだろう。

その定義に則ると、今回の西村に対して私個人としては、「自分自身に置き換え、応援」していこうという気が起きづらい。

ここ最近の西村修の変則的行動の根源は、カール・ゴッチの他界が影響!?

我々ファンからすれば、西村はこんなハズではなかった、との思いが強い。ある意味、裏切られたとの思いもある。どうして西村は変貌してしまったのだろうか?

これから言うことは、私の推測なのだが、やはりカール・ゴッチの他界が影響しているのではないかと思う。西村の精神的支柱であったカール・ゴッチ。彼がまだ存命なら、西村はハッスルに上がらなかっただろうし、無我ワールドも電撃的に退団しなかったと思う。ここ最近の西村の変則的行動の根源は、きっとカール・ゴッチの他界なのだ。これにより箍が緩んだのではなかろうか。
「自分から旗を下ろしてはいけない」
そうカール・ゴッチは生前言っていた。今回の西村は、「自分から旗を下ろして」いないだろうか? 「下ろしていない」がゆえの移籍なら、最終的には西村を見守るしかない。電撃移籍は正解だったと後世語られるように、今後の西村の活躍を我々ファンは期待するしかないだろう。