前田日明の怒る理由 ~猪木・前田会談(”89-”07)~

先日、東京スポーツで報じられた猪木・前田会談。猪木と前田の間で前向きな話し合いが行われたかと思いきや、終始口論の状況だったようで、決裂の結果となった。会談中、前田日明が猪木に怒りをぶつけたとのことだが、それは何ゆえか? 過去の猪木・前田会談も参照しつつ、みてゆきたい。

過去の猪木・前田会談の概略

まずをご覧頂きたい。過去の猪木・前田会談を簡単に示したものだ。一応、知られている猪木・前田会談を3つ取り上げた。古い順から簡単に説明する。

♦1989年の猪木・前田会談(『猪木とは何か? キラー編』)

1989年の猪木・前田会談だが、船木が『猪木とは何か? キラー編 紙のプロレス公式読本』(1994年・芸文社)の中でこう述懐している。

アンドレ戦の時のこととか、「あれはどうなってたんですか?」とか前田さんが猪木さんに対する不信をぶちまけてました。(中略)最後には「じゃあ、船木と鈴木は行きたいみたいだから、可愛がってやってくれ」って感じで2人とも握手して別れたんですよね。

『猪木とは何か? キラー編 紙のプロレス公式読本』(1994年・芸文社)から引用

会談の出だしこそ険悪ムードで「前田日明 VS アンドレ・ザ・ジャイアント」セメント・マッチのことばかりだったようだが、最後は猪木、前田はお互いに握手して円満に分かれたとのこと。

♦1997年の猪木・前田会談(週刊プレイボーイ)

その次の猪木・前田会談は1997年で、当時の週刊プレイボーイ誌上に掲載された。

前田「なぜシングルで戦ってくれなかったんですか?」

猪木「逃げてたから」

『禁談―前田日明 究極の因縁対談三本勝負』(1997・集英社 佐々木徹・著)から引用

この猪木・前田会談は、当初から掲載目的の会談(実質的には対談)であり、お互いに久方ぶりの対面だったのもあって、口角泡を飛ばすような展開にはならなかった。

♦2007年の猪木・前田会談(東京スポーツ)

最後に先日の2007年5月某日の猪木・前田会談だ。

結局は前田氏が「アンタがプロレス界をめちゃくちゃにしたんだ」、猪木も「お前らがキチンと天下を取れてないから今さらオレが出てくことになったんだ」などと口論に終わってしまったそうです…。

東京スポーツ2007.5.30 第15333号から引用

最近前田日明と密接な繋がりを持っている船木誠勝、柴田勝頼を、自身の新団体IGFへ引き込みたく(?)、猪木は前田日明と会談を持ったと思われる。しかし建設的な進展もなく、猪木・前田は、お互いの批判合戦となり決裂。

【別表  猪木・前田会談(1989-2007)】

年/項目 公開/非公開 雰囲気 会談内容
1989年 非公開 怒/円満 ●「前田日明VSアンドレ・ザ・ジャイアント セメントマッチ」等に関しての、前田の猪木に対する責任追及
●船木・鈴木の新日本プロレスから新生UWFへの移籍について
1997年 公開
(週刊プレイボーイ誌上)
円満 ●新日本プロレスへのリターン後に実現しなかった 「猪木VS前田」シングル対決について他
2007年 非公開 ●猪木から前田への協力要請(?)
●猪木・前田お互いの批判合戦

前田日明が語る「プロレス界をめちゃくちゃにした」猪木とは?

以上概略という形でまとめたが、今回の猪木・前田会談が一番大荒れだったのでは。現役時代、感情を正直に露にすることで、我々ファンの支持を得てきた前田日明。その前田日明が「プロレス界をめちゃくちゃにした」猪木に噛み付いたのには、それなりの理由がいくつかあると思われる。それは主だったものでは以下のことではないだろうか?

  1. 前田の若手時代に猪木が「今はこうしたこと(=プロレス)をしているが、いずれスポーツとして恥ずかしくない戦いを実現させる」と言っていたにもかかわらず、実際のところ猪木は、アントン・ハイセルへの投資に没頭したり、猪木自身が目立ちすぎてしまったこと。
  2. 細かいところで言うと、藤田和之のリングス入団が内定していたのに、猪木が横やりを入れ、オジャンにしてしまったこと(藤田和之はその後、猪木事務所所属選手に)。
  3. 2001年に前田・リングスが低迷した際、当時の新日本プロレス社長・藤波が救いの手を伸ばすべく、前田・リングスへの選手派遣を検討するも、これまた裏で猪木が暗躍し、前田・リングスへの選手派遣が頓挫したこと。

これら以外にもまだ前田の猪木に対する怒りの理由はあるのかもしれない。とにかくこうした積もりに積もったことが前田日明の中にはあって、プロレス界~広義ではマット界ともとれる~を、猪木が「めちゃくちゃにしたんだ」というあの口論へと発展したのではないだろうか。